RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

【ニュース・ジャーナリズム】教会への憂慮

ついに8月ですね。

いつまで災害猛暑は続くのでしょうね…

 

さて。

表立って書いても要らぬお世話と思われるし、

でも、大事な問題と思うことを書きます。

誰も言わないのも、よくないと思うので。

 

本題は、ちょっとおいておいて、

びっくりする記事を見つけてしまいました。

gendai.ismedia.jp

 

私もコラムを書いている人間であり、

かつカトリックのクリスチャンですが、

コラム筆者が現実と乖離した空想を基に

記事を書いていることに、びっくりしました。

 

他宗教の施設を破壊しようとしたり、

戦争状態になった過ちは、その通りですが、

それ以外の部分は、完全に思い込みで

書かれていて、怖いな、とさえ思いました。

あと、このコラムでプロになれるなら、

自分もなりたいな、って。(笑)

 

日本ではクリスチャンが少数派だから、

無関心よりも嫌悪のほうがいい、とか、

そのために感謝したとか、全然違います。

 

多くのクリスチャンは「日本文化の敵」と

言われても、残念ではあっても怒りはしません。

怒っても、何の意味もないからです。

それがキリスト教的思想です。

 

牧師さんが話をしたかったのは、

コラム著者が書くように、少数派だった牧師さんが、

面白い話ができそうだ、と思っただけでしょう。

無関心より嫌悪がまだいいとか、

そういう悲壮感の漂う話ではありません。

 

しかし、友達を連れてくるように、という教会も

すごいですね。カトリックとは違うな…。

 

結局、思い込みで記事を書かないでほしい、

ということなのですが、もう1つ思ったのは、

結局は、この人も嫌悪というより無関心なんです。

他宗教の人から見ると、嫌悪派かもしれない。

でも内部の人間から見ると、まるでとんちんかん。

まぁ、そんなものなのでしょうね。

 

日本は、まだ純血主義の要素が強くて、

キリスト教は西洋の宗教という色眼鏡がありますね。

カトリックというと、非常に珍しがって、

中には、いろいろ質問される方もいらっしゃいます。

 

祈ってみせて~とかなら、いいんですけど、

私生活がうまくいかないので、救われたいとか、

そう言われると、そんな宗教じゃないのにな、と

複雑な気分になることもあります。

本人には気の毒で言えない状況もあるし…。

 

キリスト教は基本的に願掛けの宗教じゃありません。

コラム著者のいう、逆転狙いの宗教でもありません。

このへんに感覚の乖離を感じるのです。

ただ、神の本質、真理を聖書や教父の教え、

神(聖霊)の恵みによって探求する、それだけです。

 

似たことは、仏教でも座禅を組んで瞑想したり

やっているはずです。

日本人は内向き過ぎて宗教の違いに違和感持ちすぎ。

別に普通の人間なんですけどね。

無関心なのか、ある意味では過関心なのか…。

 

前置きが長くなりましたが、

ちょっと、半分タブーみたいになっていることです。

でも、言う人も必要と思うので、書きます。

 

キリスト教は、大きく2つに分かれます。

カトリックプロテスタントが有名ですが、

私が取り上げるのは、主流派と福音派の分類です。

 

福音派は、比較的歴史の新しいグループで、

聖書の言葉を一言一句、字義通りに解釈します。

アメリカで進化論の是非が話題になるのは、

福音派が強いためです。

 

彼らは保守的で、信仰心が篤く、熱狂的です。

しかし、進化論の問題をはじめ、共和党の縁から

ネオコンと結託し、イラク戦争に関与したとも

言われています。

主流派とは異なる宗教的センスを持っています。

 

今はまだいいのですが、キリスト教の歴史は2,000年、

福音派の歴史は100年程度ですかね、

はっきりとわかりませんが。

 

これから100年、500年、1000年となるにつれ、

宗教的センス、私共は霊性と言いますが、この違いから

このまま行くと、キリストの名を語っていても、

事実上の別宗教になってしまうかもしれない、

さらに原理主義的な性質から、

過激派の台頭につながらなければいいのだが、と

先々を心配しています。

 

かといって、主流派に問題がない訳ではありません。

実はなぜか、日本の主流派は左翼がかっているのです。

本当に、一部の組織は左翼団体そのものです。

 

これが、自分の政治思想という認識なら個人の自由です。

しかし、かなりの人が、クリスチャンの生き方の一環として

結果的に政治活動をしていると当然のように認識しているので、

私は頭が痛いのです。

 

私は、はっきりと、申し上げたいのです。

キリスト教は、前述したように、神を追求する道です。

左翼的政治運動とは、本質的に、別物です。

 

私の思いと裏腹に、上層部までイデオロギーが浸透し、

左翼的メッセージを発信することもあります。

私は、教会のイメージを変えないでほしいのです。

教会は、神を観想する場で、右も左も関係ないのです。

 

そして一部の左翼主義者がそうであるように、

教会のメッセージも

現実から乖離しているように感じます。

理想は、現実の裏打ちがないと、

世界の力や思惑がぶつかりあう

政治の世界では無意味です。

きつい言葉ですが、害悪にもなりかねません。

 

主流派も福音派も、神の正義を求めています。

教会は確かに神の道を教えています。

しかし、ノイズも多く混じっています。

受け取る人間は、神と違って間違う存在です。

 

例えがあまりに悪いかもしれませんが、

ポル・ポトは真面目で理想が高いが故に、

国民を殺戮する結果になってしまいました。

 

人間というのは、間違う存在なんです。

光を求めて、闇に組みすることもあります。

クリスチャンは殺戮なんてしないでしょうが、

現実の伴わない理想は国や世界に

致命的ダメージをもたらします。

 

高い理想を正しく識別して、現実に立脚した理想を

実現することが「地上の平和」につながります。

私も間違う人間の1人です。

道理・真理を正しく認識する自省が必要です。