RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

四旬節第2主日

今朝は夜更かしのせいか、

ちょっと調子が悪かったのですが、

ミサに行ってきました。

2nd Sunday of Lent !

 

入口で、スータン姿の

ヨハネマリアビアンネ=

イビョンドク神父様が待っていて、

信徒さんに挨拶と消毒のアルコールを

されていました。

 

中は今日もガラガラでした。

COVID19が落ち着くまでは、

街中も教会も活気が

奪われたままなのでしょうか…。

 

ビアンネ神父様のお説教は、

「春になりました。

 桜が咲いた歌もありますね。

 

 終わりという漢字がありますが、

 冬を糸で縛って持っていく

 ようなイメージがあります。

 

 四旬節になると、

 特にシスターは顔を黒くして、

 断食や節制をしがちです。

 

 しかし、四旬節

 そんな季節ではありません。

 イエス様の復活による救いが

 近づいている喜びの季節です。

 

 だから、顔を黒くするのは

 やめてください。

 約束してくださいますか?」

 

というような内容でした。

 

ビアンネ神父様は温和で、

信者への気配りもある神父様ですが、

とても信仰に関しては

ライトな感覚を持っていることが

わかりました。

 

四旬節は悔い改めの季節と言われます。

しかし私達は、悲しみに沈むことを嫌がり、

慈善活動などを頑張る積極的で明るい

季節にしようと捉えようとします。

 

私の中にも、受難を示すpassionは

情熱という意味があるから、

エス様の過越の苦しみを

情熱的に過ごそうという気持ちがあります。

 

そういう態度を苦々しく捉える神父様も

海外には多いと聞いていました。

 

しかし、ビアンネ神父様の理解は、

私達の理解よりさらにライトな

もので、若干の驚きを感じました。

 

ただ、私はそれもいいと思うんです。

 

いつもニコニコしているビアンネ神父様は

こんな信仰を持っているんだなぁ、と

人のことを理解することにもなりますし、

 

信徒としても、いろいろなお説教を聞いて、

長い目で見れば自分の世界が広がると

思うんです。

 

たぶんプロテスタントだと、

お説教というのは信仰の中枢に近くて、

教派の理解からあまり外れていると

信徒が拒否感を示して、

教団からの採点も低くなるのでは、

という気がしています。

 

カトリック聖公会は、

割と何を言っても

構わないんじゃないでしょうか。

私はそれでいいと思います。

 

今日はニケアコンスタンチノープル信条を

過度に感情的にならずに

適度に思いをこめて

歌うことができました。

 

聖体拝領ですが、

ザビエルカテドラルでは、

今は聖体奉仕者の信徒の方が

神父様と一緒に拝領をされています。

 

今日の方は、「キリストのおんからだ。」

と言って、しっかりご聖体を

見えるように示してくださったので、

よかった、と思いました。

 

主日のミサで、

割ったホスチアをいただいたのは、

今日が初めてだったかもしれません。

 

帰りも、やっぱりビアンネ神父様が

入口で待ち構えていて、

信徒さんに挨拶をされていました。

 

今日はいろいろな人とお話ができました。

それも、とてもよかったです。

 

さて、今日から相撲でした。

無観客だと、なんか変な感じでした。

お客さんがいるって、

こんなに大事なんだなって思いました。