RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

日本福音ルーテル鹿児島教会

うわ、アクセスがめちゃくちゃ伸びてます!

昨日あげなかったのに、ありがとうございます。

 

さっき更新したのですが、

今日は気持ちが沈んで、

ずっとブログやSNSができず、

ふとんの中にこもっていました。

 

もしかしたら、鹿児島に来て

1日まったく外出しなかったのは

はじめてだったかもしれません…。

 

そういうわけで、書く材料がないので、

土曜日のルーテル教会のことを

書こうと思います。

 

前書いた、なぜルーテル教会かというのを

ざっと書くと、元々最初の教会がここで、

私にとって神様との出会いの原点の場所

ということです。

 

最初に行って、何人かに挨拶しました。

プロテスタントのコミュニティーって、

みんな共通語なんですよ。

このへんが世間と違うところですね。

 

たぶん、牧師さんが全国から集まってきて、

転勤もあるので、そうなっているんだと

思います。

 

今、ルーテル鹿児島教会は立野牧師先生が

だいぶ礼拝堂やカフェをリニューアルして

いまして、変わったところを眺めました。

 

一番の興味は電子オルガンだったのですが、

うーん、ちょっと期待はずれでしたねー。

パイプオルガンとは異質の音色。

塩原の聖クララ寮のオルガンに

近いような印象を受けました。

 

また、入口の所にギデオン協会の

聖書が置いてありました。

 

ギデオン協会というのは、聖書を印刷して

学校の前で配っている団体です。

プロテスタント教会との

つながりはかなり深く、

配布に牧師さんが

協力することもあるようです。

 

一番後ろのページに、

神様は私達を愛していること、

私達はみな罪人であること、

エス様が罪のあがないのために

死んでくださったこと、

 

そして、私は信じることにしました、という

サインと日付を書く欄があるんです。

 

そこにサインしたら、

どこかの教会に行って、

神様への道を更に深めるよう

勧める旨が書いてあります。

 

どれくらいの人数が教会の扉を

叩くのかはわかりませんが、

この方法で教会に行くようになった人は、

典型的なボーンアゲインクリスチャンに

なるだろうな…って思いました。

 

聖書の箇所はカトリックと同じで、

立野先生のお説教は、

「世の中はコロナウィルスが流行っていて、

 トイレットペーパーがなくなるなど、

 おかしなことになっています。

 

 カトリックもミサをやめてしまっています。

 カトリックがねえ、という気もしますね。

 弾圧の中でもミサをやめなかったのに、

 ウィルスでミサをやめちゃった。

 

 聖体拝領に与る義務が教会法で決められて

 いるはずなのに、それはどうなんですか、

 って聞いたら、それは免除されるそうで。

 

 プロテスタント教会でも礼拝をしない所も

 あるし、ルーテル教会でも聖餐式

 自粛している所ばっかりですね。

 聖餐でコロナがうつるのか、と思いますが。

 

 さて、今日の福音では、

 サマリアの女が出てきます。

 昼間に重い水を汲みにくるということは、

 差別や侮蔑の対象だったのです。

 

 イエス様に出会って、生きた水のことを

 聞いています、まだ飲む水のことを

 言っているようですが、

 心の渇きが問題なんですね。

 

 生きた水は渇きを癒やす水であり、

 私達を永遠の命に導くものです。

 

 私達はみことばに生かされるのです。

 見えるみことばが説教であり、

 見えないみことばが聖餐です。

 

 永遠の命に至るためのものなのに、

 コロナで命が大事だからって、

 大事な礼拝や聖餐式をやめちゃって、

 それでいいんだろうか、って

 思いますね。           」

 

という内容のお話をされました。

 

もう1つ、熱心なクリスチャンの

おばあちゃんの話もありました。

 

親戚が決めた人に嫁ぐことになって、

ノンクリスチャンと結婚すれば

信仰の土台が崩れると嫌がって

いたけど、親戚だった新島襄さんから、

これも神の御旨だからって説得されて

結婚して山奥に行って、

 

現地で宣教して大きな収穫があったけど、

教会を建てたいという夢を持ちながら、

僻地のため牧師が来てくれずに、

教会を立てる夢は

叶えられなかったそうです。

 

牧師先生が

「教会は建物だけではありません。

 おばあちゃんはここで

 イエスの教えを広めて、

 この地に目に見えない

 立派な教会を建てました。」

 

と言ったんだけど、

最後まで、そのおばあちゃんは

教会を建てられなかったことを

残念がっていたようです、

 

というお話もありました。

 

最後の部分が立野先生の

言いたかったことなんでしょうけど、

 

このおばあちゃんは

相手が好きかどうかは

どうでもいいってことなの?

ちょっと、ちょっと、えーっ!?

ってなって、

 

結局、最後まで一番気になったのは

そこでした…。

 

うーん、そうですね、

でも牧師さんのおっしゃるほうが

私は賛成ではありますね。

教会があっても実らないのが

現代社会ですからね。

 

ハードだけあってもダメで、

気持ちを、信仰を伝えるという

ソフトの部分は重要ですよね。

 

礼拝の後は、カフェに行きました。

 

カフェは旧牧師館で、

立野先生の下で

リニューアルされました。

 

学生さんが運営しているみたいです。

 

マリリンモンローの

Happy Birthdayが飾ってあって、

信徒さん達が、

 

マリリンモンローじゃなくて

聖書のメッセージがある

絵画だったらねぇ、

 

って話していました。

 

最初の段階だったら

ルーテル教会付属ということで

聖書的な絵はいいと思いますが

 

わざわざマリリンモンローの

写真を外すとなると

そこまでするのもなぁ、

って気持ちにもなりました。

 

立野先生はルーテル鹿児島教会の

ために頑張ってくださいましたが、

残念ながら転勤で

今週で終わりだそうです。

 

まだ考えの段階ですけど、

ザビエル書院あたりで

なんかフェアウェルの記念のものを

準備しようかな、って思っています。

 

ここで終わろうと思って、

大事なことを書くのを

忘れていました。

 

なぜ土曜日に礼拝だったのか?

前は日曜日に主日の礼拝を

やっていました。

 

教会が牧師を雇えなくなって、

閉鎖も視野に入れられたところを

大江教会の立野先生が

助けてくださって、

 

土曜日は鹿児島教会、

日曜日は本来の自分の教会、

という訳です。

 

水俣教会や宮崎教会からも、

交代で県を越えて

土曜日の鹿児島教会の礼拝を

守ってくださっているようで。

 

上から目線みたいに

感じる方もいらっしゃるかも

しれませんが、カトリック教会は

全然守られていると思いますよ。

 

日本のプロテスタント教会

体力的に非常に脆弱で、

涙ぐましいまでの努力で

教会を存続させている感じがあります。

 

カトリックも、そういう気になれば

もっといい働きができるのかも??

もしかしたらそうなのかもしれません。

 

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