RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

菅野よう子先生

最近、私のよく通る商店街で、
菅野よう子先生の「プラチナ」を聴く機会が
増えました。あらためて、名曲だと思います。

先生は、よい才能を持った作曲家ですが、
彼女のことを調べていると、しばしば
「器用貧乏」という評価を見かけます。
ずいぶん失礼な話だと思いますが、
それはひとまずおいておいて、
私の印象を書きたいと思います。

まず、彼女の作曲・編曲能力は高く、
人を唸らせるものがあるように思います。
よく、私が話題に出す筒美京平先生と
あえて比較するなら、筒美先生が好きです。

しかし、彼女の曲を聴くと、時として、
多くの職業作曲家、筒美先生にもない
魅力を感じることもよくあります。

そこで、なぜ、器用貧乏などという
評価があがってくるのか、
私の分析としては、先生が芸術作曲家と
職業作曲家の中間の色を持っているからと考えます。

芸術作曲家は、自分の持っている最高のものを
音にするのが仕事です。
そうすると、個性が全面に押し出されていて、
かつ、その色に対して聴衆を満足させる、
という役割を持つことになります。

職業作曲家は、全く逆の仕事をすることになります。
面白い音を敏感に拾い集め、いったん分解する。
分解とは、中を見て勉強することです。
譜面に起こして、どこが面白いのか、
名曲においてどういう使われ方をしているかを
分析することです。
そして集めた物を、曲を作るにあたって
うまく工作物にし、歌手に適したものにする。
その音楽は変幻自在で、匿名性が高くなります。

面白いことに、先生はその両方の特徴を
持ちあわせている。
そこが、器用貧乏などという評価を受ける
原因かもしれませんが、同時に魅力でもあります。
賛否両論は仕方ないでしょう。

さらに最強に近づくためには、
職業作曲家としての凄みを高めることでしょう。
匿名性が高く、かつ人を唸らせる力をあげれば、
もう器用貧乏なんて言う人は
ほとんどいなくなるでしょう。

二刀流ならではの魅力もあれば、難しさもある。
菅野よう子先生という作曲・編曲家は、
それを体現している貴重な音楽家であると、
私は思うのです。