RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

【音楽】筒美京平先生のこと

こんにちは。

 

最初にも話しましたが、このブログは「日記」というタイトルですが、

「広場」のようなところを目指しています。

ですから、いろいろな話題を提供して、みんなで盛り上がれたら、と思っています。

 

今日は、私が大好きなアーティスト、筒美京平先生のお話をしたいと思います。

筒美先生は、大ファンの人と、名前も知らない人で、両極端です。

それは、日本で一番売り上げた作曲家という一面と、

全くテレビなどの表舞台に露出しない人、という一面が両方あるからでしょう。

 

筒美先生には、いくつかの特徴がありますが、よい作曲家であり、よい編曲家であり、

よいプロデューサーである、という三拍子がそろっていることでしょう。

 

それは、もともと讃美歌やジャズなど、いろいろな音楽に親しんできた生育環境、

すぎやまこういち先生から鍛えられた楽典の影響がとても大きいと思います。

 

筒美先生の曲は、とても多様性があり、よくも、これだけ多様なジャンルの音楽を

ハイクオリティで、しかも量産することができたものだ、と感じさせられます。

Wikipediaで調べてみると、代表曲が載っています。

サザエさんブルーライト・ヨコハマから綺麗アラモードまで、実に様々です。

 

それは、歌手に合わせた曲を作るセンスと、楽典に基づいた技術を持てばこそです。

 

少し話は変わりますが、日本で2番目に曲を売った小室哲哉さんが

引退を表明しましたが、私にとって、意外なコメントがありました。

「私は独学で音楽を勉強したので、どうしても自己流になってしまう。

 自分が新しいものを作ったと思っていても、コムロっぽいね、と

 言われることが、一番苦痛だった。」

 

一時は「小室サウンド」の大ブームで一時代を築き、

2番目に売れた作曲家なのだから、自分のセンスに自信を持っていいのでは、

そう思いました。

 

でも、よく考えてみると、売れているときは、そう思えても、売れなくなると、

どうしても自分の弱点が気になるのが、プロの音楽家なのかもしれません。

小室さんは当然、筒美先生を意識していただろうし、Yoshikiさんとも仲良しでした。

お2人とも、楽典的素養の高い方ですので、自分と比較する部分もあっただろうし、

なかなか売れないストレスの中に置かれると、

自分の長所より弱点に目が向くのが人間心理かもしれません。

 

逆に言えば、筒美先生は、自分と目標を正確に捉えることができる方だと思います。

つまり、「敵を知り、己を知る」ということです。

筒美先生の70年代の作品に、編曲も自身でされたものが多いのは、

作曲家デビュー当時、メロディが弱かったので、対策として編曲を頑張ったのです。

編曲はリズムとハーモニーという認識がまず浮かぶと思いますが、

筒美先生はサウンド作りを重視しました。

もともと好きだった洋楽を膨大に聴き、自分の血肉にしました。

 

筒美先生のサウンドを聴くと、2人の作曲家を思い出します。

師匠であるすぎやまこういちさんと、ポール=モーリアさんです。

筒美先生はそうとうモーリア音楽を研究し、エッセンスだけでなく、本質的にも、

自分の作品に応用するまでに至ったのだろう、と思います。

 

80年代になると、武器だった編曲はほとんどしなくなり、

ほとんどすべての作品の編曲を他のプロの人に任せるようになりました。

武器であっても、時代にあわないとみると、すっぱり捨てる作戦遂行力が

卓越していることが伺えます。ただ、私は70年代の筒美サウンドが好きですね。

実は、今でも演歌系の曲を中心に、筒美先生を参考にした編曲が多く聴かれます。

あのハローキティの歌にも、筒美先生や洋楽の影響を強く感じます。(笑)

 

最近は、残念ながら1年に1枚もリリースされていないようですが、

お体の調子がどうなのか、気になります。

どうか、穏やかに、好きな音楽を聴きながら余生を楽しんでほしいと願っています。