お久しぶりでした。
こんにちは。
私は、なんと、去年9月6日に肺塞栓になりました。
心臓が2分間とまっていたそうで、よく生きているなぁと思います。
どうやって自分で救急車を呼んだのか、前兆があったのか、
なんで家のマイクロウェーブオーブンが壊れていたのか、
いろいろ謎が多いのですが、前後の記憶がありません。
ただわかってるのは、死ぬのは神の御心ではなかったということです。
教会の人のマルグリッドマリーさんからも、使命があると言われました。
ずっとモラトリアムだったので、自分の使命について考えています。
ここでいろいろ書いたら考えも整理されるかもしれませんが、
もうちょっと自分だけで考えたいと思っています。
これからは短い内容中心で書いていこうと思ってます。
前に書いたことは、いろいろ恥ずかしいこともありますが、
自分で考えたことだし、一度外に発信したものは
後は独り歩きすると思っているので、消しませんが、
ブログの雰囲気が、もしかしたら変わるかもしれません。
復帰後、最初は、日曜日のミサのことを書きます。
今週の主日は、主の洗礼の日でした。
この部分は、もっともなことで、イエスの到来を準備するのが
ヨハネの役割なのに、立場が逆だというのは、その通りです。
しかし、イエスの洗礼は、神様の御旨に叶うことでした。
同じように、ゲツセマネの園で祈られた時、イエス様は
人間らしい思いを祈りましたが、しかし御旨のままに、と
おっしゃいました。私達も、御旨を求めて生きましょう。」
というような内容のお説教でした。
子供の洗礼式があると週報に書いてありましたが、
予定が変わったようで、ありませんでした。
降誕節も終わりということで、クリスマス飾りの片づけがありました。
外の飾りの片づけをする予定でしたが、高いなぁ、怖いなぁと
思って見ているうちに、あれよあれよとどんどん進んでいって、
出る幕がありませんでした。中のプレゼピオをやりたいと思ったら、
子供達が楽しそうに片づけていて、邪魔しちゃいけないと思いました。
結局やることがなくて、帰ってきちゃいました。