RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

【ニュース・ジャーナリズム】松本智津夫氏の処刑に思うこと

 

7月6日、ついに、オウム真理教の教祖、

麻原彰晃こと、松本智津夫氏の死刑が執行されました。

 

ここでは、

1.オウムの何が怖かったか?

2.判決が決定するまでの司法手続きに問題はないか?

3.死刑制度は、適切か?

について、書きたいと思います。

比重は、1が80%、2が2%、3が18%くらいの割合になると思います。

 

私たち以上の世代では、オウム真理教は、実際に経験した世代なので、

その存在の怖さがどういうものなのか、肌身に触れて経験しています。 

 

私が最初にオウム真理教を知ったのは、中学生くらいの時でした。

郊外の親戚の家に泊まりに行っていたとき、

母から、「オウム教といって、子供が親のところに帰らなくなる宗教が

あるんだって。気をつけなさいよ。」と強く言われたのが最初でした。

その数ヵ月後、テレビで取り上げられていました。

親が「帰っておいで」と懇願しているのを、

ニヤッと笑ってただ眺めている青年の息子が映っていて、

子供心に「この人は何を考えているんだろう?」と思いました。

 

なんとなく変な宗教、というくらいの認識だったオウムが、

本当にやばいぞ、と感じだしたのが、地下鉄サリン事件の前年、

棄教した信者を「強制奪還」する事件が相次いんたんです。

まさに、拉致ですね、しかも公然と。

あきらかに一線を越え始めたので、世の中の人も、

そのことから危険視しはじめたと思います。

 

そして、オウム真理教というと必ず誰もが思い出す、

地下鉄サリン事件」が起きたのは、

私が大学に後期で合格が決まった日でした。

 

ですから、私は大学に入学する前後、

テレビは毎日のように、オウム真理教の放送で一色でした。

よくも、こんなにネタが尽きないものだ、と思うくらい、

省庁制が導入された教団組織の話や、ヘッドギア、

オウム食、温熱療法、ホーリーネーム、

サティアンの構造、奇妙な映像加工や歌など、

3ヶ月くらい、ずっと報道していました。

 

大学では、まだwindows95が発売されたかされないかの時期で、

パソコンのプログラミング言語の講義が行われていましたが、

文字をコピーして複写したり、色をつけたりする技術を

ふざけて修行するぞ、という文字を画面にたくさん表示させたり、

さらに文字を赤くする人がいて、笑っていたのを覚えています。

 

 

かし、私はオウムの異様な実態を報道で知れば知るほど、

とても怖い思いをしていました。

何が怖かったと思いますか?

私が感じたオウムの怖さは、地下鉄サリン事件のような

大量殺人をした、というのは、3位です。

 

2位は、国家転覆を計画していたことです。

私はオウムが国家転覆に成功していたとは思いませんが、

あと8ヶ月放置していたら、クーデターを実施して、

東京上空から80万トンのサリンをまいていたといわれています。

数十万単位の人命が失われていたといわれています。

 

1位は、理屈抜きに人をひきつける、吸引力がすごいのです。

世界は、高学歴の科学者や医師をテロリストに変貌させたことを

非常に注目していました。

日本では、同じ内容を、高学歴の人がなぜ? というスタンスで

報道していましたが、私はまず事実を認めるべきだと思います。

オウム真理教は、確かに頭のいい人を何人も操る力を持っていたのです。

 

私の大学では統一教会や、解放派中核派などの極左過激派など、

不思議な「引力」を持つ組織を警戒していましたが、

オウム真理教の「引力」は比べ物にならないほど強かった。

理屈をことごとく超越して、人間の考えを自分たちの波動と

同期させる、桁外れのパワーを持っていたのです。

それが、高学歴の人間を取り込んでいった理由だったと思いますし、

私の目には、土屋実氏や、青山吉伸氏はわかりやすかったです。

 

私は、当時は浄土真宗を信じていて、

今は不思議な縁でカトリックを信じるようになりましたが、

これらの宗教とカルト宗教は、感覚が全く違います。

カルトは熱狂、という意味ですが、

人間に強い強迫観念を抱かせる、不思議な力を持っています。

 

例えば、オウムのサティアンで育った子供たちが

民間の施設に保護されましたが、

子供たちは白米を「シロアリを殺す薬が入っている」という理由で

食べなかったそうですが、私も、しばらく白米が食べられなくなりました。

このような荒唐無稽な論理でも、次々に繰り出してきて、

しかも問答無用でそう思わせてしまう不思議な力がありました。

 

結局、カルト宗教は、人間の心の闇を利用する存在であり、

オウムに感じた怖さは、外にあった、というより、

むしろ内にあった、というのが、私の感想です。

強くひきつけられる自分をコントロールする戦いでした。

 

カルト宗教の問題は、本当に普遍的な問題なんですね。

例えば、最近では世界中からISISに加入しました。

その中には、多くのキリスト教徒もいました。

 

ですから、私は、正直、今回の死刑執行の報道を物足りなく思っています。

多くの命が奪われたテロ、地下鉄サリン事件の直後であり、

オウムの狂気、異様さを肌身に染みていたからこそ、

当時のメディアは3ヶ月にも渡って、オウム一色になりました。

少なくとも、今回の処刑は、2週間は集中的に報道するべきです。

カルト宗教の恐ろしさを風化させてしまったようで、残念です。

 

世界は、本格的にカルトの分析を行い、多くの人を熱狂させ、

狂気と暴力に導く概念に対する対策をしなければなりません。

おそらく、かなりしているはずですが、

いまだにISISなどが台頭する現実があります。

人間の心がそうできている以上、難しいのかもしれません。

これが、今日、最もこだわって言いたいことです。

 

2つ目は、司法手続きに問題はなかったのか、ということです。

一部の学者が、テレビでそのことを強調していたので。

これに関しては、何の問題もありません。

ちゃんと、東京地裁の裁判を経て、判決が下りており、

しかも控訴趣意書を提出しなかったので、決心しました。

正当に刑事訴訟法どおりにおこなわれており、

法的な瑕疵はどこにもありません。

マスコミは、そんなところに注目するのではなく、

オウム真理教の怖さを、いまいちどしっかり放送すべきです。

 

最後に3つ目ですが、死刑制度についてです。

死刑が執行されるためにアムネスティから抗議されますが、

だいたい、80%の国家が死刑制度を廃止していて、

10%の国家が制度上存在するが、事実上死刑にしないそうで、

死刑が実際に行われているのは、10%の国家だそうです。

いわゆる先進国で、死刑があるのは、日本とアメリカだけです。

数値は正確ではないですが、大きく外れていることはないです。

世界的には、こんな感じです。

 

では、なぜ日本に死刑があるのか、と言えば、

刑法の原則は、社会の法益を守るため、と学校で習いました。

 

では、守るべき法益ということで検討すれば、

かつては、判決理由で命をもって償うべき、など言われていましたが、

さすがにそれは言われなくなりました。

人間に命で償うことなどできません。

 

最近よく言われるのは、処罰感情、ということが言われます。

代表的なのは、光母子殺人事件でしょうか。

被害者が深い悲しみを抱き、罰を与えてほしいと思うのは、当然です。

しかし、罰を与える=殺す、というのは、論理が飛躍しています。

結局、これも死刑の法益を説明したことになりません。

 

思うに、表現は違いますが、命を奪った者は、その命を奪われるのが

当然の報いだ、という発想は、共通していると思います。

これは、ハンムラビ法典の同害復讐法の世界と変わりません。

復讐を「法益」と呼ぶなら、その発想には断固反対です。

 

もし、法益があるとするなら、

犯罪の抑止力、ということは、考える余地があると思います。

死刑になる可能性があるということで、殺人を思いとどまる

ケースがあれば、法益がある、と言えなくもありません。

 

また、今回の松本智津夫氏のように、

大量の人間を引き込んで国家転覆を図るような人物は、

国家防衛の観点から、生かしておくと危険、というのは理解できます。

国家がなくなれば国民の生活も脅かされますので、

法益がないということもいえないのでは、と思います。

私は法律の専門家ではないので、論理があっているかはわかりませんが。

 

以上をまとめますと、私情では、死刑にはあまり賛成ではありませんが、

法益がない、とも、また言い切れないと思います。

ただ、人面獣心の極悪人だから、報いとして殺されるべきだ、という

発想には、法益と関係ないので、明確に反対します。

 

世界の多くの国が死刑を廃止しているのは、

国家が刑罰で人間を殺害する、ということが、

それだけ重い問題だ、ということにほかなりません。

 

よく言われるのは、加害者の命は大切で、

被害者の命は大切でないのか、という批判ですが、

被害者の命はもちろん大切です。

ですが、加害者の命も重いことに変わりはない、

ということは、しっかり申し上げたいと思います。

 

そのために、きちんと、法益の問題を考えましょう、

死刑は復讐のためにあるのではないのです。

犯罪から社会を守るのに必要なのかどうか、

その観点から、国家が人を殺すことの重みを

考えるべきであると考えます。

 

私は、この死刑執行を機に、

第1に、破壊的カルト宗教が大規模テロ行為を起こした事実を

再度思い出し、マスメディアは専門家を招聘して、

カルト根絶のための本格的な議論をすべきだと思います。

 

第2に、マインドコントロールされた弟子たちの死刑の是非を考え、

死刑制度が今のままでいいのか、議論すべきだと思います。

 

そういう意味で、メディアの取り上げ方には、

かなり物足りないものを感じています。

世界有数のカルトのリーダーの死刑は、そんな軽いものではありません。