RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

【ニュース・ジャーナリズム】オウム関係の死刑について

1ヶ月の間に、13名が刑死しました。

 

世界的には、ほとんどの国が

死刑を廃止していて、

日本はずいぶん批判されているようです。

 

もちろん、日本は主権国家です。

ふさわしい理由があれば、

自分の意見を通していいのです。

 

では、理由は何でしょうか?

漠然と「法益を守るため」と言われますが、

具体的には、私は法学の専門ではありませんが、

2つの理由があるように思えます。

 

1つは、犯罪の抑止力。

もう1つは、被害者の処罰感情です。

 

抑止力という点で考えれば、

松本智津夫氏は、理解できます。

ほかのメンバーは、信者でした。

 

ある人は精神世界の充実を求め、

ある人は真理の追究をめざし、

ある人は超能力に興味を持って、

普通の宗教と思って入っていった。

 

そして、いわゆる洗脳、

巧みな心理的誘導を受けた人間です。

指導者の言われた通りに動いている状態です。

 

もし、彼らがオウムに入らなければ、

サリンを作ったり散布したりしたでしょうか?

殺人を犯したでしょうか?

国家転覆の計画を立てたでしょうか?

答えはノーでしょう。

 

従って、抑止力の意味は全くありません。

 

次に処罰感情ですが、

サリンで死んだ人、大切な人を失った人、

そういう人は、松本氏だけを処罰してほしい、

と、思うでしょうか?

 

作った人も、撒いた人も死刑にしてほしい、

と考える人がいてもおかしくないでしょう。

今日は、その問題を書いてみたいと思います。

 

日本人に、死刑制度存続派が多いのはなぜか?

それは、犯罪にあった人の痛み、苦しみ、

特に殺人など、とりかえしのつかない犯罪に

あった人の、消したくても消えない傷。

そこに共感があるからだと思います。

それは、決して悪いことではありません。

 

もちろん、犯人が刑死したところで、

遺族の傷がそれで消える、ということは

ないでしょう。

ひと区切りがついた、というだけの話です。

 

私の考えでは、国家が刑罰として

受刑者を殺害する、ということは、

やはり抵抗があります。

終身刑ではだめなのだろうか?

と思います。

 

もし、私の大事な人が殺されたとして、

犯人の死刑を求めるだろうか?

私なら求めません。

もちろん、しっかり処罰してほしいと思います。

しかし、死の報いが死であるということは、

私には耐え難い。

自分の受けた苦しみを犯人には望みません。

 

できるなら、犯人に回心してほしいと思います。

自らの罪の重さに向き合い、一生背負ってほしい。

しかし相手のことですから、

そうなるかどうかは、わかりません。

 

世の中の役に立つ刑罰を通して、

犯人の人生が少しでもよい方向に

変わることが私の望みです。

 

そういう訳で、死刑は抑止力の観点のみ、

制度に準備しておくことに意味があると

私の価値観では思います。

しかし、適用は、極めて慎重にすべきです。

 

松本氏に死刑が適用されたのは、

社会に与える重大さから、

やむを得なかったかもしれません。

しかし、信者による犯行に関しては、

何の抑止力もない。

 

死というものが、

この世において絶対的なものである以上、

信者たちの死刑には、私は反対です。