RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

【ニュース・ジャーナリズム】看護師による点滴異物混入殺人事件と中絶問題

横浜の病院で発生した事件、

看護師が20人以上殺害したと供述しているようですね。

この事件に、今までに感じたことのない感覚を味わっています。

 

被疑者は、人付き合いが苦手で会話が少なく、

「自分の担当の時間帯に人が死ぬと、

 遺族から説明を求められ、苦痛だった。」

「死刑は覚悟している。」

 

説明が嫌というのと、殺人、そして死刑覚悟の上。

このギャップに、正直、唖然としています。

理解しようと思っても、よくわからない。

 

説明するのがいやなら、

どうして人付き合いの少ない仕事に就かなかったのか?

そして、殺人まですることなのか?

淡々と無関係者のようにコメントする姿といい、

私にはすべてが謎に包まれています。

 

1つ思うのは、病院で勤務する人は、

しばしば人が死ぬ感覚が麻痺すると言われます。

「また亡くなった」としか思わなくなったり、

この病院のように療養型の病院で働くスタッフには、

「このような形で命をつなぐことがいいのだろうか?」と

考えるようになる人もいらっしゃるようです。

 

余計な事かもしれませんが、

刑死した中川智正氏は、医師になって初めて

患者が死んだことに強いショックを受けたのに、

同僚が何事もないようにしている現場に絶望し、

オウム真理教を信じるようになったと聞いています。

 

林郁夫受刑者も、医療に限界があることに心を痛め、

解決を宗教に見出し、オウムに引き込まれたようです。

 

純粋な心の持ち主が悩んだ末に、

偽預言者に騙されたことに、やりきれない思いです。

 

逆に、植松聖被告は、重度の障碍を持つ患者さんの介護を

するうちに、コミュニケーションの取れない障碍者

不幸を作り出すことしかできない、という確信、

疲れて、そう思ったのではなく、強い確信を持つまでに至りました。

 

介護をすることが、お金もかかり、肉体的精神的に大変なことです。

久保木容疑者や植松被告ほど、極端なことは、まずありませんが、

相手が弱い人間の場合、邪険にする態度をとる人もいるようです。

残念なことですけど、弱者を生かす為には、

それだけ大きなエネルギーや負担が必要になるということですね。

 

私は、「姥捨て山」を作っていいんですか、と、

久保木容疑者や植松被告に言いたいです。

わかってもらえるかどうかは、わからないけど。

医療関係者の中には近いうちに死ぬ人は経験上わかるかもしれない。

だけど、最期まで、人間でいさせてあげてほしい、と思います。

 

もう話は、理解すらできない久保木容疑者を離れて、

植松被告や弱い患者さんに横暴に振舞うスタッフの話ですが、

おそらく、この人たちを、ほとんどの人は責めると思います。

しかし、中絶の問題は、どうでしょうか?

 

中絶の問題は複雑です。

 

最近、経済的に育てられないとか、気が動転して、という理由で、

新生児を放置したり、殺害したりするケースが目立ちます。

その前に、中絶をしてしまうというパターンがあります。

 

中絶の問題でSNS上で議論したことがありますが、

かなり、大きな論争になりました。

中絶をした人が良心が痛まないわけではない、

生んでたら小学生になっていただろうか、とか、

そう思うんだ、という意見がありました。

 

良心の呵責は、あると思います。

私は子供を作りませんでしたが、そのことに心が痛むので、

思う気持ちはわかります。

不用意な性交をしてしまったが故の悲劇ですね。

 

もっと深刻だと感じたのは、良心の呵責がない場合です。

ある、虐待を受けて育った人が、子供は産まない、

なぜなら、自分が虐待されて育ったので、子供を愛せる自信がない。

だけど、性欲があるから、子供ができてしまう。

だから、中絶するしかないじゃないか、というのです。

 

虐待を受けて育った、ということは、全く不幸なことですが、

性欲があるから子供はできるけど、愛せないから中絶する、という

言い分は、私には非常に深刻な事態に思えました。

愛せない子供を作らないのではなく、中絶する、というのは、

やはり、人を愛する感情が育たなかったんだな、と思いました。

それも含めて、虐待は、本当に悲しい問題ですね。

この人が子供を作らなかったのは正解です。

 

私は思います。

日本には赤ちゃんポストが、あまりに少なすぎる。

これらの問題を解消するには、最低1市に1つの病院の割合で、

赤ちゃんポストを設置すべきだと思います。

そのことで、当事者の環境は大きく変わるでしょう。

 

もう1つ、問題がありまして、今の日本では、

出生前診断で先天的障碍が認められた胎児の91%が

中絶されているそうです。これは、大きな衝撃でした。

 

私の親戚にも、全盲で知的障害を持つ人がいますが、

父親のまわりのとりまきの人は、中絶すべきだった、と

責めています。

父親は、娘のことを思えば、自分の死後どうなるんだろう、

それは、心配だと思います。

 

私は、親戚の人は、中絶をすべきだった、と責めるのではなく、

みんなで協力して面倒を見ればいいじゃないか、と思います。

 

私は、どうしてこんなに中絶に抵抗がないのか不思議です。

憶測ですが、胎児はまだ人間ではないと思っているのでしょうか?

法的な話ではなく。

 

とても厳しく聞こえるかもしれませんが、私の意見は、

胎児もまだ母親の人間から出てきていない人間なので、

中絶は殺人と変わることがなく、親戚の考えは

根本的に植松被告の考えと変わらない、と思います。

 

しかし、中絶を迷っている人には思いとどまるよう勧めますが、

してしまった人を責めるつもりはありません。

みんな、いろんな事情があります。

人間は完璧でないので、赦すべきなのです。

人間は、そうやって生きていけるものだと思います。

批判は苦しみを与えるだけで、いい方法ではありません。

 

どのようなお考えをお持ちになりましたでしょうか?

それは、私の問題ではなく、1人1人の問題です。

 

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