RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

宗教と性格的「絶対性」「相対性」について

今日は、お盆の最終日でしたね。
例年、送り火を焚く習慣がありましたが、
今年は焚きませんでした。

しかし、心の中では、
「お盆の終わり」という気持ちがあります。
このような節目に、故人への思いを
新たにされるようです。

同時に、カトリックでは「聖母被昇天」の祭日です。
今日は、どうにも体調が悪くて、大変でしたが、
ミサは休みませんね。
私は主日や祭日(大祝日)のミサはまず休みません。
行かないと、気持ちが悪いんですよね。

さて、今日の祭日、参列者が少なかったですね。
教会は高齢者の方が多く、体がきついのと、
あまり復活祭・降誕祭以外の祭日に興味がないんでしょうね。
まぁ、無理に来てなんて言いませんけど、少ないとは思いました。

ここから先は、けっこう個人的に興味深い内容なんですけど、
ブログのほうで書きます。

今日は終戦記念日でした。
沖縄の地上戦や、多くの国民の苦しみに思いを馳せました。
「確信犯」という言葉がありますが、
人間は、どうしても間違うことがある生き物です。

今、興味のあるポル・ポト派の大虐殺は典型ですが、
より複雑で、結論の出ない問題もあります。
アメリカ合衆国では、原子爆弾の投下は
無益な戦争を終わらせるために必要だった、
という意見が多数派です。
人間の正義感は、必ずしも完全でない。

ただ、原子爆弾パンドラの箱でしたね。
こういうのは、1度できたら、
現実的に廃絶は不可能です。
「制御」することしかできない。
怪物は飼いならすしかない。
AIなども、将来、そうなるかもしれません。

さて、やっと本題ですが、
私は、自分の性格に興味があります。
どうも、人と違う部分が多いからです。

そして、以前、「憶測で記事を書くな」と
言いましたけど、いちキリスト者として、
「日本で極端に信徒が少ない理由」には、
やはり興味があります。

私は、信教の自由を大切にしますし、
クリスチャンを優遇することもありませんが、
純粋に信者が少ないことには興味があります。

今日、ネットを眺めていたら、
なるほど! と思う答えがありました。

よく、悪質なカルト宗教や、詐欺が横行し、
宗教に価値観を持つことを警戒しているのでは、
と言われますが、それはトレンドだと思います。
普遍的な要素ではないように思いますね。

日本人は、現世でご利益があり、
かつ戒律が厳しくない、ライトな物が好きなのです。
中東に端を発するユダヤ教イスラム教、
そしてキリスト教は、唯一絶対の神の正義があり、
人間は最悪、殉教してでも本物の道を守る。
こういう命がけのものは、性にあわない。

このことを突き詰めると、
「絶対性」「相対性」の問題に行き当たるのです。
例えば、韓国の敬語は絶対敬語、日本の敬語は相対敬語、
と言われます。日本の敬語は、目上の人には
尊敬語を使いますが、これが体外の人との話になると、
目上の人にも、謙譲語を使うようになります。
これは、本来の私の価値観ではありません。
もちろん指揮命令下にある場面では、そうしますが、
自分の本来の価値観とは折り合わないものです。

日本人は、相対的な世界の中では絶対的だと思います。
これは、集団になると力を発揮する日本人の特性だと
思うのですが、完全な絶対的価値観を持つ人間からすると、
これがまた、耐え難いほど気持ちの悪いものなのです。

そういう、日本人の中では、ちょっと珍しい部類の人間が、
一神教に惹かれるのかもしれません。
おそらく、あのコラムで正解があるとすれば、
そう簡単に日本ではキリスト教徒は増えないでしょうね。