ラテン語ミサに参加して(その2)
もう1つ思い出したので、追記します。
私は、知識としては、ラテン語規範版と、日本語のリタジーが
異なっている部分があることを知っていました。
今の時代は、インターネットがあって、
ラテン語の直訳がどうなっているか、調べればすぐに分かるからです。
その部分を、どこかで不本意というか、苦々しく思っていた部分もあります。
しかし、自分が実際にラテン語でミサに参加して、
このような違いがいいのだろうか? と、戸惑いました。
実際に与って、「苦々しい」から
「不安」「悲しい」という感情に変わりました。
どうして、ローマカトリック教会の典礼は出来上がっているのに、
別のものに変えてしまうのでしょうか。
典礼の霊的な意義を考えれば、聖書を書き換えるくらい、
不安になる感情を感じました。
幸いに、もうすぐ新しい日本語のリタジーができるようです。
しかし、規範版にかなり近づくけれど、完全に同じにはならない、
と聞いています。私は、完全に同じにしてほしいです。
もうすぐ販売される
「カトリック教会情報ハンドブック2019」で
新しいリタジーに触れられている、という話もあります。
やっぱり、そこは気になるところです。
ローマカトリック教会に属する兄弟姉妹の皆様は、
私の文を読んで、どうお感じになったでしょうか?