RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

福岡のラテン語ミサについて

今日は、関係者にとっては、ちょっと辛口の投稿になります。
雰囲気が悪くなっちゃうかもしれないけど、
問題提起したいんです。より良くするために。

昨日は、東京の聖マリアカテドラルで、
「荘厳司教ミサ」が行われたようです。
私は行ってないので、トリエントミサなのか、
ノブスオルドミサなのかわかりませんが、
いずれにしろ、伝統的なものだったと想像します。

実は、福岡市でも、ラテン語のミサが行われています。
かつては年6回だったのですが、
今はもっと回数が増えているようです。
しかし、平日の昼間に行われるので、参加者は多くなく、
15人くらいの和気あいあいとした雰囲気です。

私も鹿児島時代に何回か参加してたんですけど、
地理的な問題、あるいは仕事上の問題で、
数年ぶりの参加になりました。

書き方というものがあると思うのですが、
数年前と変わってなくて、少し驚きました。
ミサの前に、グレゴリアンのミサ曲を1時間ほど
練習するだけで、ラテン語がしゃべれないんですね。
それでも、必死でしゃべろうとしている方も
いらっしゃるのですが、ミサをあげてくださる神父様は、
サントス神父様とルイジ神父様がいて、
ルイジ神父様の時は、早口で祈祷して、
ついていけないばかりか、会衆が唱えるべき部分も
神父様が唱えてしまうんです。

これは、大問題だと私は思います。
回心の祈りや、聖体拝領前の、「主よ、私は至らぬ者で
あなたをひさしの下に…」を信徒自身が唱えず、
神父様がさっさと唱えてしまうのは、
これは日本語、ラテン語以前にミサと言えるのか?
本当にこれでいいの?
そういう気持ちが拭えないのです。

貴重な時間と体力を使ってお越しになる信者の皆様には、
いろいろな思いがあると思います。
昔のラテン語のミサが懐かしい。
温故知新で、ラテン語のミサに触れてみたい。
グレゴリオ聖歌でのミサをやりたい。
いろいろな思いで集まっていらっしゃると思います。

私の場合は、母国語のミサを軸足に起きながらも、
世界に広がる地上のローマカトリック教会の共通語、
ラテン語でミサができるようになっていたほうが、
神父様が外国からお見えになるこの時代、
素養を身につけておきたい、という思いからです。

しかし、たまたまファリサイ派の偽善の話が福音朗読、
ということもあり、信仰は外面ではなく内面だ、と
お説教されました。

ホミリアはそれとして、神父様のミサの態度を

拝見していると、私の思い込みかもしれませんが、
きちんとしたラテン語ミサをなさる気が

あまりおありでないのでは、
と、どうしても思えてしまうのです。
司式される神父様が仮にラテン語ミサの必要性を感じて
いらっしゃらないとなると、一番問題は難しいです。
一度、予約をとって、ルイジ神父様とお話してみたいです。

とにかく、このままでは、いつまでたっても
ちゃんとしたラテン語ミサをお捧げできません。
一度、立ち止まるべき時期だと思うのです。

具体的には、ミサで使う言葉だけでいいので、
きちんとラテン語の文法、発音、意味を理解することです。
ラテン語が身についていないので、神父様についていけません。
しかも早口で祈祷されるので、どこを読んでいいのかもわかりません。
なんとかラテン語を話そうと努力されている方も私を含め、
数名頑張っていらっしゃるのですが、焼け石に水です。
言葉についていこうとすると、祈りの心が皆無になってしまうし、
祈りの心を込めようとすると、全くついていけずに話せません。

つまり、
1.まずラテン語でミサをするのなら、
  きちんとラテン語を勉強する。
2.次に、神父様にゆっくり祈祷していただき、
  ちゃんとしたミサをお捧げする。
3.慣れれば、だんだん速くする。

最低、2までは最低限の下準備だと思うのです。

そういうことも含めて、
私はぜひルイジ神父様とお話したいです。

皆様は、いかがお考えですか?