RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

聖パウロの回心

今日は聖パウロの回心の祝日です。

パウロ郡山健二郎司教様は、

6月29日ではなく、

今日が霊名記念日らしいです。

回心したパウロなんですね。

 

ミサは入院中なので行ってないです。

まぁ、今日はどっちみちダメなんですけど、

祝祭日、特に祭日のミサは

カテドラルなどで大きな祭儀があると

いいのになと、よく思います。

 

NYの聖パトリック大聖堂では

https://saintpatrickscathedral.org/masses

観光地の5番街にあるだけあって、

さすがに多いですね。

祝祭日だから、というより、週日が多いです。

 

ソウルの明洞聖堂では

http://www.mdsd.or.kr/bbs/content.php?co_id=7020

あんまり多くないですね。

昼間に出席されたい方は

四谷の聖イグナチオ教会のほうがいいかも…

 

公式サイトだけではわからないことも

多いとは思うんですけど、

世界的にも思ったよりは

祭日のミサは多くないみたいです。

 

祭日はカトリック的には

典礼上、主日(日曜日)と同じくらい

重みのある日なのですが、

多くの人手がさけない。

やっぱり、「会社、学校があるから」

これに尽きると思います。

 

最たるものは、クリスマス。

日本は国民の祝日でないので、

大祭日であるにもかかわらず、

聖堂はガランとしています。

多くの神父様がこの現実に

なんとなく悲しそうなのが

感覚的にわかります。

 

ミサがあるからまだいい。

私が驚いたのは、かなり多くの

プロテスタント教会は、

25日の礼拝を持たないようです。

だいたい直前の日曜日に前倒し。

余計なお世話かもしれませんが、

私は人が少なくても

25日に礼拝すべきだと思うなー。

 

世の中がそれで回っている以上、

仕方がないかと思います。

休めとは言えないでしょう?

 

クリスマスやその他の祭日に休みたい人は、

有給休暇を取れる職場か、自営業、

フレキシブル労働、聖職者を選択すれば

いいと思うんですね。

その自由はありますので…。

 

ちょっと長くなりましたが、

あらためて今日は聖パウロの回心。

エス様と出会って電撃的に

キリスト者になった記念の日です。

 

ミサには行けませんでしたが、

今日は悔い改め、ということを

神様が考えさせてくださいました。

 

キリスト教と言えば、洗礼者ヨハネ

「悔い改めよ。天の国は近づいた。」

そして洗礼も受けましたが、

悔い改めが何か、

わかってないことに気づきました。

 

自分の罪を深く悲しんで、

神様に従うと思うのが

悔い改めなんだろうと

なんとなく思うんですけど、

深く悲しむ、というのが、

あんまりわかってないと思います。

 

私達の人生において、

そんな自分の罪深さを深く悲しむ、

心を打ち砕いて悲しむような

経験はそんなにない。

どうか間違えると、そんなに暗く

卑屈になるのはごめんだ、と

反発していると思うんです。

 

パウロ森一弘司教様のネット番組

「森司教の世界」で、司教様は、

「人間の弱さやみじめさを

深く見つめながら、それを

包んでくださる神様への目覚め」

 というふうにおっしゃっています。

 

最初聞いた時、行動を改めようと

しなくていいのかな、と

思いましたが、深くみつめるほど

改められない弱さ、みじめさが

あるのだろうと思います。

むしろ、「深くみつめる」ほうが

人間には簡単じゃないと思います。

あったとしても、瞬間的なもので、

持続するのは難しいでしょう。

 

ただ、典礼の中で、人間の弱さ、

みじめさという言葉が出てきますが、

表面的な理解であるかもしれませんが、

それを認めることはできると思います。

認めることで、神の恵みのありがたみが

感じられる。これも悔い改めには

違いないんじゃないかなぁ。

なかなか、それ位しか解らないと思う。

 

エス様がおっしゃるところの、

「顔を見苦しくしない断食」を

したいなぁ、と思いました。

 

たまたま、小川靖忠神父様のお説教を

ネットで見ることができました。

「人生を振り返った時、マイナスはない。

プラス評価しかない。」と

語っていらっしゃったのが

印象に残りました。

 

教区司祭として生きるうえで、

不安に思うことがあるというお話も、

プラス評価のお話も、

エス様なんか言ってよ、の話も、

とても生々しくて、参考になりました。