RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

クリスマスのできごと

昨日書いた教区司祭のことですけど、

今日は気持ちが後ろ向きになっています。

 

意外と気になっているのは、

親に会えないとか、

死に目にも会えないとか、

死んでも「司祭の墓」に

入らないといけないとか、

そんなことが懸念されています。

 

もうちょっと、

いろんなことを考えてみます。

 

さて、去年(典礼暦では今年)の

クリスマスのことを書きます。

その時はまだ

ブログ再開してなかったので…。

 

9月に肺塞栓になって入院、

10月に今の病院に転院し、

11月までは外泊も

なかなかできませんでした。

ですからパパ様のミサも行ってません。

 

長い信仰生活のちょうどこの時に

重病で入院中というのも、

運命なんでしょうね…。

 

12月はやっと週末、年末、

クリスマスだけ外泊してた時で、

外に出るのは新鮮な気分でした。

 

西新教会は早い時間に行きました。

そうでないと席が開いていないので…。

 

入祭の歌は

「やみに住む民は光を見た」でした。

イメージはカトリックのクリスマスは

アデステフィデレスだけど、

日本では「しずけき」が多いという

イメージでしたが、どちらも違いました。

 

余談ですが、バチカンのサンピエトロは

「The first Noel」でした。

 

中村神父様が金色のカズラをお召しになって

聖堂の一番後ろから入堂して

プレゼピオにイエス様の人形を置いて

暗い中で祈っていました。

 

背中にPXと書いてあって、

その背中が信仰を語っているように見えました。

父親の背中を見て育つ、などと

古い言葉がありますが、

神父様の背中が何かを物語っているように

感じられました。

 

私が見たPXの文字ですが、

つい最近までPax(平和)のことだと

誤解していました。

私は中村神父様の背中を

平和と思って見ていた訳です。

フリストス(キリスト)の頭文字だと知って、

早く気づいてよかったと思いました。

 

中村神父様はお説教で、

作り話って言って、

3本の木の話をしてくださいました。

心が温かくなる話でした。

 

西新教会のクレドは前は

ニケアコンスタンチノープル信条でしたが

途中から使徒信条になりました。

ですが、このミサは

ニケアコンスタンチノープル信条でした。

とても美しい信仰告白で、

最初目にした時に、素晴らしい!

この世離れした霊的充実を感じる、

と心を動かされたことを覚えています。

 

数年前の西新でのクリスマスは

インフルエンザにかかって、

パーティーには出ませんでしたが、

今年は後片付けまでしました。

 

行ってないですが、

大名町カテドラルは、

今年は23:30のミサがありました。

杉原神父様が一番大変な

ミッドナイトマスの司式でした。

 

杉原神父様らしいなぁと思いました。

熱い性格で、求める人には与える人、

そのための苦労は全く惜しまない人、

という印象を持っています。