RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

主の奉献の話と、殉教者の話を少し

今日、11:35にまた病院に帰ってきました。

今朝はミサには行きませんでした。

 

今週はもう1回外泊を予定しています。

なんだか、ゆっくり病院にいる時間が

あまりないですね。

今月末には退院を予定しているので、

ここにいる間にいろんなことを

整理しておきたいと思います。

 

たぶんカトリックでは有名なブログで

「聖母に倣いて」さんの記事を

よくチェックしているのですが、

 

主の奉献の祝日は、

伝統的にキャンドルサービスと

深い関係があることを知りました。

勉強になりました。

教会の豊かな歴史を感じます。

 

あらためて昨日の御ミサのことを

もう少し書いてみたいと思います。

 

昨日は、祝日と主日が重なった日でした。

神学生の方から、その話もあり、

 

降誕祭から40日めに主の奉献が祝われること、

 

元はマリアの出産の「穢れ」を

清めることを記念していること、

 

40日めが日曜日になるのは

降誕祭が火曜日の時だけであり、

主の奉献が初めてという人、

該当の聖書の箇所を初めて読むという人も

いるかもしれない、

 

というお話がありました。

 

そう言われてみると、

福音書の箇所は知っているのですが、

第二朗読の箇所は新鮮でした。

 

聞いてたらお恥ずかしいのですが、

もしかすると祝日と主日

重なったというのがミソで、

 

祝日は通常、第二朗読がありませんが

主日になると第二朗読があるので、

普段の主の奉献で読まれない箇所が

読まれたのかもしれません。

あくまでも「かも」です。

 

拝領の時に二十六聖人殉教者の歌が

歌われました。

2月5日の祝日の前の日曜日だから

この歌を歌ったのでしょう。

 

殉教という重いテーマですが、

綺麗な爽やかさのあるメロディーでした。

ある意味、いかにもカトリック教会らしい

殉教の捉え方であるように感じられました。

 

殉教について思うところは

また2月5日に書こうかと思いますが、

この歌が、聖体拝領時ということもあって、

心に染みたのは事実です。

殉教という形にはならないと思うけど、

神のお導きに「はい」と言える人に

なりたい、なんて思いました。

 

今日は、私が高校時代に活躍した

体操の小菅麻里元選手のことを思いだしました。

 

そのことを書こうと思ったのですが、

昨日のミサの話が長くなりましたので、

詳しくは明日書くことにしました。

今日はちょっと触れただけです。