RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

聖アガタの日

こんにちは。

 

今日は科学館に行きました。

ちびまる子ちゃんプラネタリウム

マンモス展がよかったです。

 

ガリレオが教会から迫害されたのは

もちろん知ってたんですけど、

ちびまる子の切り口で、

たくさんの小さな子ども達の前で

ばーんと再現されると、

カトリック信徒としては

非常に、非常に心苦しい思いです。

 

多くの日本人から、

やっぱり教会はロクなことせんな、って

思われてるんじゃないかなぁ、とか、

いや、これは中世の人間の限界から

来ているのであって、

宗教と権力が癒着してしまうと

どの宗教でも起こり得ることで、

結局、世俗的権力と結びついちゃいけない、

ということなんです、とか、

自分の中で弁明ばかりしていました。苦笑

 

ほかに西新でママの買い物の

手伝いをしたりしました。

昨日は、正直、外泊は必要なかったかな?

って思ったんですけど、ほんといい1日でした。

 

今朝は聖アガタのミサにあずかるために、

西新教会に行ってきました。

ついでに維持費を入れてきました。

 

聖アガタは本来は2月5日ですが

日本二十六聖人と重なるので、

2月6日に日本では典礼をします。

 

中村彰神父様のお説教は、

「今日の福音でイエス様は1人でなく

2人で宣教するように言われます。

2人なら協力したり相談したりできます。

今日も皆さんが自分の環境で働かれると

思いますが、独りではないんだ、

エス様が一緒についているんだ、と思って、

自分の努めを精いっぱい果たしましょう」

というような内容でした。

 

中村神父様のお説教はシンプルですが、

中身のがっしりつまったシンプルさに思います。

確かに、私は勉強を5年して準備して、

洗礼を受けてさらに4年になりますが、

エス様が一緒にいて励ましてくださる、という

当たり前のことをわかっていない時があります。

あらためて言われて、イエス様が一緒なら

もっと強い自分に、もっと違った自分になれる、

そんな希望を感じて、気持ちが明るくなる。

中村神父様のお説教には、そんな力があります。

 

中村神父様から洗礼の勉強をした人は、

あまり求道の過程で挫折しないんじゃないかなぁ、

という気がします。

小さい子どものほっぺたをなでて

教えるような雰囲気があって、

私は最初のうちはその良さが

あまり見えていませんでした。

今は良さがわかります。

私達は、ストイックな信仰を持つ人だけでなく、

むしろごく普通の人を救うことが

必要でたいせつなことだからです。

 

 私の信仰が深みを追求していく方向から、

普通の感覚を重視していく方向に

最近変わったことを前に書いたのですが、

いちど信仰が弱まった時期があったり、

肺塞栓で入院して自分がリセットされたことも

影響があるかもしれませんが、

そこから新鮮に信仰を作っていく上で、

中村神父様から受けた影響は

けっこう大きいような気がしています。

 

パウロは、一人でも多くの人を救うために、

相手にあわせて、あたかもひとりひとりに

ジャストフィットするような態度をとりました。

(一コリント9章)

 

私はそこまで器用ではありませんが、

自分が普通の人の気持ちを持っていたら、

人間として相手と共感できる。

信仰の喜びも伝わればもっとすばらしい。

逆に、せっかくいい信仰を持っていても、

自分の中だけで眠らせておくのは、

いかにももったいないような気がします。

ありのままの自分で、外に出ていこう!

今は、そんなアウトドア型信者になりました。

 

アガタのことを帰ってから調べてみました。

典型的なのは、切り落とされた胸を

お盆に載せている絵画でした。

洗礼者ヨハネといい、昔の西洋の絵画は

人体をお盆に載せるのが好きだなぁ、と

思うんですけど、こういう表現なんでしょう。

 

神父様の祈願を聞いていても、

殉教者に倣って信仰を力強く証すること、

純潔と殉教に至る信仰を称えていること、

これが聖アガタの意義なんだろうと思いました。

 

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