RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

召名の器

こんにちは。

 

今日は、初金のミサに行ってきました。

 

病院に午前9時までには

帰らないといけなかったのですが、

いつも行く教会のミサが

今日はそれぞれ夜だったので、

ひさしぶりに笹丘教会に行きました。

 

笹丘教会はアウグスチノ会の教会で、

遠山満神父様とマイケルヒルデン神父様が

いらっしゃいます。

ヒルデン神父様の穏やかな雰囲気も

また私に影響を与えられました。

 

今日は聖堂に入った時から

とても殊勝な気分でした。

遠山神父様はミサがとてもお上手で、

聖堂の雰囲気も洞窟の中みたいで、

なにか神秘的な感じがしました。

 

今日は洗礼者ヨハネの殉教の場面が

読まれました。遠山神父様のお説教は

特に最後の場面が印象的で、

「人は誰でも罪を持っている。

それはとても破壊的なものである。

大きな罪を犯せば神様からとがめられる。

罪を犯さないように恵みを願いましょう」

という内容でした。

 

私は福音朗読を聞いていて、

ロディアの悪さがとても気になりました。

よく信仰者のことを神の似姿と言いますが

ロディアは悪魔の似姿のように感じられました。

 

回心して祈って聖体拝領を受けていれば

だんだん神に近づいていきますが、

神様を無視して欲望に任せていたら、

だんだんサタンに似てくると思います。

 

これは人ごとじゃなくて、

自分のこととして考えなくてはいけません。

 

そろそろ退院が近くなってきました。

もう少し自分のことを考えなくてはいけません。

 

最近は、教区司祭になることを

真剣に考えなくなってきました。

しかし、それでいて、

まだどこかに視野に入れている

煮え切らない感じです。

 

前はシンプルに考えていましたが、

今は怖さが先にきます。

 

召名といえば、鹿児島時代に姿を見た

若い女性のことを思いだします。

目鼻立ちがしっかりしていて、

今時珍しい、まっすぐな性格でした。

聖書や新しい聖務日課を読む時は、

独特の感じで、雰囲気がありました。

 

その人は、観想修道会に入っていきました。

私は、なんでこんな身も心も美しい人が

観想修道会に入っちゃうんだろうと思いました。

外の世界で生きていれば、

これからいろんな経験をして、

見たことのない世界、心を躍らせることも

たくさんあるだろうに、

あの若さで残りの人生を修道院の中で

暮らすのだろうかと思うと、

惜しいな、それでいいのかな、と思いました。

 

今でもそういう気持ちはあります。 

ですけど、おそらく納得して

今の時を生きているのでしょうね。

あの人は、私よりずっと司祭修道者に

ふさわしい器だろうと思います。

 

自分で書いていて、

納得して今の時を生きている、

という所が気になりました。

もっと真剣に何をするか考えてみます。

そろそろモラトリアムを終わらせる

気持ちになってみてもいい歳。