RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

イースターおめでとうございます

ご復活おめでとうございます!

 

昨日の主の受難から考えていました。

神のお告げの日に十字架の道行をして、

その時に考えていたのですが、

 

なんでイエス様があんな残酷な方法で

衰退して、最後は死んじゃうのか。

そうなる必要がなぜあるのか。

 

けっこう気になっていたんですね。

 

正午から午後3時の時に、

どんな気持ちになるのか、

気をつけていました。

 

正午を過ぎて、ついに始まったなぁ、

とは思いましたが、

すごく苦しくなるという

感じでもなくて、

頭の片隅にある、くらいでした。

 

午後3時には、

ちょっと重い気持ちになりました。

例年通り、ああ、本当に

死んじゃったんだなぁ、

って感情でした。

 

これも毎年味わう感情なんですが、

エス様が死んでしまったことで、

神様が世の中を護っている恵みが

土曜日の夜までなくなって、

 

困難な精神状態になった時に

悪の力に負けてしまうのではないか、

という不安も感じました。

このへんは不安神経症をかかえている

人間ならでは、だと思います。

 

ゆうべは、花丸比奈さんの

pocochaの配信に専念してたんですけど

 

私達は聖金曜日で殊勝な気分でいるけど

世間の流れは、こうやって

何事もないように過ぎていくのかな…

みたいに思いました。

 

聖土曜日ですが、もちろん

エス様がまだ、よみの国にいる、

という思いはありましたが、

 

それが不安感を引き起こすこともなく、

むしろ夜の復活が楽しみに感じていました。

 

今日は18時から菊地大司教様のミサを見て、

感動して、終わったら中野司教様のミサに

移動して、また見ました。

 

画面越しではありますけど、

本当にミサに与っている気がしました。

 

典礼聖歌の歌集を持ってきて、

一緒に歌ったし、言葉も言ったし、

立ったり跪いたりしました。

 

実際の教会では立ったままですけど、

ネット配信で与る時は、

聖変化の間だけは跪きました。

聖体拝領以外、

ミサに出ているのと同じです。

 

むしろ、オンラインであるので、

何百キロも離れている教会に

一瞬で日本中から集まれる、

独特のメリットを感じました。

 

こういうような

聖徒の交わりは、

今のCOVID19が収束した後も、

 

このオンライン独特の長所を

なんらかの場面で

この長所を生かしていきたいです。

 

例えば叙階式をライブ配信したり、

祭日、祝日、通常の週日もですが、

参加しやすい時刻に

実際にミサを立ててそれを配信する、

などの方法も考えられます。

 

実際の教会のミサに与る代わりには

教会法上ならないと思います。

しかし、得られるものはあります。

 

体が悪いとか、時間が取れない人には

とても意味があると思うし、

場所的な制約から会うことの

できない人と会うこともできます。

 

やっぱり、バーチャルとはいえ、

実際に立てられたミサに与れるのは

そうとう大きいです。

 

司教様や神父様は、

会衆がいないので寂しい思いを

されていると思いますが、

 

ちゃんと立てられたミサは

画面越しでも本物を感じます。

 

今年はイースター

あったものじゃない、と

思っていましたが、

ちゃんときましたね。

 

エス様の栄光の復活に触れて、

なんだかあの重くて痛くて苦しい

受難は、敗北者のように感じられて

あんまり気にならなくなりました。

 

うれしくて、信仰心に満たされて、

Facebookでは、こんなことを書いたら

引かれるかなー、と思って

絶対書かないようなことを

書きたい気持ちが勝って書きました。

信仰告白してしまいました。

 

あらためてまして、

ご復活まことにおめでとうございます!

ハッピーイースター!!