RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

四旬節は情熱の季節かも

今日は四旬節第1主日です。

First Sunday of Lentというやつです。

 

私が所属している福岡司教区では、

既に公開ミサが中止となっています。

今日はミサに与れる喜びを感じました。

 

小隈神父様のお説教は、

「イエス様は誘惑にあいました。

 神様は人間として苦しまれたからこそ、

 人間の苦しみがおわかりになります。

 

 またイエス様は荒れ野に行かれます。

 私達が生きているこの世界が荒れ野であり、

 涙の谷であります。

 

 この世で苦しみを受けて、解決しない時、

 例えば病気がいつまで経っても治らない時、

 私達は苛立って神に信頼できない誘惑に

 陥ってしまうことがあります。

 

 そのような心では神は沈黙します。

 私達は、神は私を見捨てたと思ってしまいます。

 

 しかし、神様は私達を見捨てるような方では

 決してありません。

 

 私達が試練を受けるのは、必要なことだからです。

 人間として成長するためなのです。

 

 そのような時に、人間の弱さをご存じである

 イエス様を信頼することができますよう、

 恵みを願いましょう。

 四旬節は恵みの時です。         」

 

というような内容でした。

 

クレドはニケアコンスタンチノープル信条を

メロディーをつけて宣言しました。

何度も感情が高まってしまって、

うまく歌えませんでした。

しょうがないです。

 

病院に入院している時、好きになった看護師さんが

右手にこぶしを握って震えていたことがありました。

私は怒らせてしまったと思って悲しくて苦しかったけど、

最後はよいお別れができて感謝しています。

 

それで、人間は怒りで震えることがあるようです。

私は怒りで震えたことはないです。

しかし感情が高ぶって震えることはあります。

それはキリスト教の神性に魂がさらされる時が

ほとんどで、頭が真っ白になって震えたり、

言葉が詰まって絶句したり、涙が流れたりします。

 

ニケアコンスタンチノープル信条の時に、

またそうなってしまいました。

 

いつもは奉献の時に献金を準備しますが、

ザビエルカテドラルでは

入口に献金とホスチアが準備されていて、

それを侍者が迎えに行って奉献するだけです。

 

私は平時は200円の献金ですが、

四旬節の間は300円に増額するのが

毎年のスタイルです。

300円は、ミサ献金四旬節愛の献金

あわせて300円になるようにします。

 

ミサの終わりに、受付のヨゼフさんが、

私が福岡から帰ってきたので、

挨拶をするように言われて、

言葉を考えていたのですが、

マイクは回ってこず、

周囲の人に頭を下げただけでした。

 

でも、いろんな人に挨拶をすることが

できて、とてもよかったです。

 

また、私は自主的に聖体拝領を

口で受けることを自粛していましたが、

ミサの後の案内で、COVID19対策として、

当面の間、舌で拝領することは

お控えください、というお願いがありました。

聖水盤の使用中止のお話もありました。

 

既に教会自体、ガラガラな状態です。

教会は長時間人が密集しますし、

お年寄りほど危ないと言いますので、

無理からぬことだなぁ、って思ってます。

 

ミサの後、灰の水曜日に

灰を受けていない人で、

希望する人は灰の塗布を受けました。

 

私も入院してて受けてないので、並びました。

思ったより多い人が長い例を作りました。

 

「回心して福音を信じなさい。」の言葉と

ともに、額に灰を受けることができました。

 

もう1つ、「あなたはちりに帰るのです。」

という言葉もあるようですが、

私は日本語でこの言葉を言っている

神父様を見たことがありません。

 

灰を塗ってくださった小隈神父様は、

マキシム神父様に雰囲気が似ていると

思いました。

 

お説教の涙の谷とか、

サルヴェレジナの世界だなあ、って

思いましたけど、それも含めて、

いろんな所から小隈神父様の信仰が

どのようなものであるのか

感じられるような思いがしました。

 

ザビエルカテドラルの感想ですが、

私は本当にここに戻ってくるのを

楽しみにしていました。

 

今までに行った中でも、

3本の指に入っている美しい聖堂です。

聖フランシスコザビエルの聖遺物も

常時置いてあります。

 

信仰心をそそるということを言った

韓国の人を見たことがありますが、

本当にそのとおりです。

 

西本願寺も日本三大別院と言われていますし、

けだし鹿児島という土地は精神性があって

宗教をやるには適した土地だと思うのです。

 

この日記でも観想修道会に入ることに

怖じ気づいた書きこみをしていましたが、

鹿児島でミサに与ると気持ちも違うし、

神性のうちに平安な生活を送れるなら

ありなんじゃないかと自然に思えてきます。

 

不思議なものだと思いますね。

 

最後にスマホのことを書きたいと思います。

 

私は今回スマホを買って使うまでは、

画面の大きさからタブレットを普段は使って、

スマホは外出時の応急端末という感じに

捉えていましたが、実際は片手で気軽に持てる

スマホが圧倒的に使いやすいです。

 

今は若者から中高年まで、

ほとんどの人が自分のスマホを持っていて、

写真を撮ったり、SNSで人とつながったり、

私達の新しい生活スタイルの提供になっています。

 

だからみんながスマホを持てる世の中になって

ほしいし、スマホを大事にしてほしいです。

 

私の持っている2台めのスマホ

早く新しい人の手に渡してあげなきゃ!

 

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↑中野司教様の紋章が輝いていました!

 とてもかっこいい!