RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

今朝のミサで思ったこと

今日は、いよいよアドベント最後の日です。

Facebookには、イエス様をまだ知らない人にも

わかりやすいように、アドベントとクリスマスの

意味を書かせていただきました。

 

私も、いよいよ今夜だ、という、喜びと

少しの緊張感を持って、朝のミサに出ました。

 

カトリック教会は毎日ミサがあって、

週日は旧約聖書や書簡などが1箇所、福音書が1箇所、

合計2箇所の朗読があります。

 

アドベントシーズンは、預言書で、メシアの到来を

描かれている部分が読まれます。

 

毎日聞いていると、旧約聖書で預言されていることは、

確かにイエス様を思わせるのですが、

ニュアンス的には、当時のユダヤ人、イスラエルの栄光を

もたらすニュアンスがあります。

はっきりイスラエルだけ、とは書いてませんが。

 

実際、メシアは死刑になり、異邦人をも救ったことが

明らかにされると、その事実を受け入れられずに、

ユダヤ教に残った人もいっぱいいました。

 

翻って、今のキリスト教徒はどうだろうか、と思います。

私達は、世の終わりに再びイエス様がおいでになり、

裁きを受けて天の御国で絶え間なく神の栄光を讃えると

信じている人達の集まりです。

 

しかし、ユダヤの民がかつてそうであったように、

救いが私の思っている物と違っていたときに。

あなたが思っている物と違っていたときに。

 

その時に、最後の最後にキリスト教に躓く事がないよう、

私は祈る気持ちになりました。

 

神様は、確かに私達を愛しておいでです。

しかし、神の思いは人間の思いと異なり、

神の道は人間の道と異なります。

エス様は盗人のように来られます。

エス様の御言葉やヨハネの預言は、

大変、人間にとって恐ろしいものです。

 

もし、思い描いていた救いと、神の救いが乖離していた時、

皆様には、それでもアーメンと言える存在でいてほしいのです。

 

私は、神の物である以上、

神を離れては無一物だと思っています。

エス様を再び仰ぎ見る時、「心貧しき者」でありたいです。

おそらく、そこに幸せが待っているでしょうから。

 

惨めに極刑とされた神のひとりご、

エス様のみどり子の姿に、

よい心で王への忠誠を喜びたいと思います。

メリークリスマス。