自動運転に見る日本の仕組みについて
今ニュースで言ってましたが、政府が目指している
乗用車の自動運転のレベルは、
「運転手が運転席にいる状態で、
自動運転で高速道路を走行できるレベル」だそうです。
自動運転が失敗したら、運転手が手動運転なんて、
間にあうはずがない。
かえって事故の原因は車なのか人間なのかで
揉めると思うけど、どうせ法律で人間ということに
したいのだと思います。
日本の当局は大企業や主要産業に保護的なので。
でも、いざ刑事訴訟・民事訴訟になったら、
そんなに簡単にいく問題じゃなくて、
特に民事は揉めに揉めるのが目に見えるようですが…
国際的観点でも、そのレベルの技術ができるのなら、
国によってはハンドルもなく、利用者は
後部座席で寝てれば着く…という自動運転を想定すると
思います。当然責任は、企業がとることになるでしょう。
そうなると、どっちが有利か?
間違いなく、外車のほう。
日本ではハンドルのない車なんて認めない、なんて
やろうものなら、貿易紛争にもなりかねない。
異論もあるでしょうけど、こんな日本のシステムが、
失われた20年を生み出しているように思えてならないのです。
そして、このシステムは、そもそも国民を幸せにしない。
「勤勉」「積極的」と「真面目ぶる」のは、
本質的に全く違います。
もちろん、発展につながるのは、前者のほうです。
そろそろ、間違えた靴の向きを、変えてみる時期だと思うのです。