RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

宮城まり子さん

今日も家から全然出ませんでした。

 

私は、武漢で大流行が始まった

かなり早い段階から

COVID19のことを

記事にしていました。

 

しかし、いよいよやばいな、と

身の回りの危険と認識したのは

かなり最近のことです。

 

今では、基本的に

家から出ないようにしています。

 

そういう方向に決心したのは、

アナウンサーの笠井信輔さんの

Instagramです。

 

#家で過ごそう

 

この言葉で

私の行動パターンは

ついに変わったと思います。

 

私も、メッセージします。

 

家で過ごそう。

 

そういうわけで、

最近はあんまり

書く材料がないです。

 

今日は、ちょっと前に

なっちゃったけど、

亡くなった宮城まり子さんの

話を書きたいと思います。

 

私は宮城さんのことを

あまり知らなかったのですが、

話を聞いてとても感動しました。

 

宮城さんはとても人気のある

女優でしたが、

障害者の役に接する機会があって、

福祉に強い興味を持つように

なったそうです。

 

亡くなった時、

どんな紹介をされたかと言うと、

「ねむの木学園」でした。

 

女優としての代表作より

彼女の作った障害児のための

学校のことが、

 

彼女がどういう人だったのか、

紹介されたのは学校のこと。

 

これは素晴らしいですね。

本物だと思います。

 

宮城さんはプロテスタント

クリスチャンだったそうですが、

 

訳で障害者に真剣に向きあった結果、

変わったんですね。

軸足が福祉のほうに向いた。

これはまさに聖なる召名だと思います。

 

召名と福祉というと、

カトリックの世界ではマザーテレサ

でも私は宮城さんのほうが

好きなんですけどね。

 

マザーテレサの展覧会が

私がキリストの求道者になる前、

鹿児島市山形屋デパートに来て

母と一緒に見に行ったことがあります。

 

母は割と感銘を受けていたような

感じでしたが、私は感動しなかった、

なんか砂を噛むような

しっくりこない感じがありました。

 

そういう直感というのは

なんかあるんですかね?

 

後で知ると、

マザーテレサは、活動を支援する

多くの寄附金が集まったけど、

それを薬を買うほうに使わず、

 

ただ死を前にした人に

優しくするだけ、って路線に

こだわったようです。

 

評価は人それぞれですけど、

私はそれを聞いた時、

それは偽善だと感じました。

 

マザーテレサは理屈っぽくて

こだわりが強くて、

気難しい人というイメージを

私は持っています。

 

その中にあって、

マザーがどうしても

苦しんだことがあるそうです。

 

神がどこにもいない。つらい。

 

神様の別名はインマヌエル。

神は私と共にいる。

 

その神がいないというのは

つらかろうね、と思います。

 

つらかろうね、って

博多弁かな? まぁいいや。

 

でも神がいないとか、

彼女に偽善があるとしたら、

 

私が直感的に感じた

砂を噛むような違和感、

正体がわかった気になります。

 

私の親分であるアントンは、

「なんで教会には

 あんなしらじらしいのが

 多いんだ?」ってよく言います。

 

アントンはしらじらしい、という

言葉が好きでよく言います。

アントンが言うしらじらしさを

突き詰めると、偽善とか、

自己満足ということだと思います。

 

昔の私なら、アントンが

言っていることを理解するのは

難しかったかもしれません。

 

西新教会や中村神父様にふれて

新しい感覚を身につけた今は

アントンが言おうとしていることは

よくわかります。

 

あらためて、教会って、

なんでしらじらしい勢力が

一定数あるのかなと思います。

 

やっていることは

自分の人生をつぎこんで、

至極立派な生き方なのに、

 

どこか自己満足の狭い世界に落ちて

小粒な実りしかない、

みたいなのが多いように見える。

 

なんかもったいないよなぁ、

って思います。

 

私に言わせれば、

マザーテレサなんてのは

その最たる存在です。

 

まぁ、これを読んで

面白くなかった方も

いらっしゃるかもしれません。

 

実際の教会でも

マザーテレサ大好きって

純粋に笑みを浮かべて

言っている人がいて、

 

そういう時に

私はあの人おかしいと思う、

 

って言えないじゃないですか。

わざわざ言う必要も全然無いし。

 

だけど、ここは私の日記だから。

実際のカトリック教会は

マザーテレサ万歳だけど、

 

そうじゃない人もいるよ、ってことを

ある程度発信する人がいることも

必要性があると思うんです。

 

私はマザーのことを

全否定するつもりもなくて、

 

愛の反対は無関心とか、

素直にうなずける言葉も

けっこう残しているし、

 

彼女の生き様にも

ちゃんとそれなりの

価値があると思っています。

 

私はこの文を

マザーテレサをたたくために

書いた訳ではありません。

 

マザーテレサと違って、

宮城まり子さんの生き方は

直感的に感動を感じる、

ということを言いたいのです。

 

宮城さんの言葉として、

 

やさしくね やさしくね

やさしいことは つよいのよ

 

というのがあるようです。

 

私達はバカにされるなどすると、

やさしい気持ちから脱却して、

それで反撃しようという

気持ちになります。

 

でも、やさしいことはつよい。

本当はやさしいが大事。

 

私達の原点であり、

大事にしないといけないこと。

それを思い出させてくれて、

励ましてくれる言葉なんですね。

 

だから、心に心強さと感銘を

感じるのだと思います。

 

ちょっとこの言葉を黙想して

大事に持って生きていこうかな。