RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

私にとっての教会と教派

今日も、なんかものすごく伸びてる…

最近、すごすぎです。汗

 

私のブログの何に反応が高いんでしょうか?

ラテン語の話?

ノンセクとか、そんな話?

 

うーん、どうなんだろう?

私としては、キリスト教の話も、

セクシャリティーの話も両方大事に書いてるので、

両方喜んでいただけると幸いでございますが…

 

私が最近大事にしていて、

このブログでも触れてきた

「女性原理主義」なるものを説明したいのですが、

もう少しお待ちください。

 

たぶん、説明すれば、

「それって、ユングの提唱した

 アニマとどう違うの?」って思われる方も

 いらっしゃるかと思うんです。

 

私の中でも、これってアニマの話で

けっこう説明できるかもな、って

思うところもあるんですけど、

私は女性原理主義という視点で

書いて、思案を深めたいと思います。

 

私にとっては、

自分のアプローチから物を考えることで、

自分自身がすごく楽になれたし、

 

自分が楽になれたってことは、

LGBTQの、とくにTとかQの人を、

何人かでも楽にしてあげられる、って

自信みたいな気持ちがあるんです。

 

そういう夢もあるので、

少しずつでも書いていきたいです。

必ず書くので、よろしくお願いします。

 

今日は、教派のことを書きたいと思います。

 

私は、何度も書いてますけど、

最初に行った教会は、

日本福音ルーテル教会です。

 

けっこう、幸せだったし、

ルーテルなのが当然だったし、

自分の原点はルーテル教会だし、

 

もっというと、なんで今、

ルーテル教会じゃないのかな?

っていう気持ちもあるんです。

 

これは、ルーテルを変わったことを

後悔しているという意味じゃないです。

自分の根本には、自分はルーテルで当然、

という刷り込みみたいなのがあるんです。

 

それだけ、最初の思いは悪くなかったんですね。

 

私は、福岡で学生をしていたとき、

福音派の教会のチラシを見て、

教会行きたい!っていう誘惑を感じました。

 

結局行かなかったのは、

仏教の悪口をこれでもか、って並べて

書いてあったことに違和感を感じたからです。

 

今思えば、あそこは典型的な

「初心者が行ってはいけない教会」

だったと思います。

 

あまりに仏教を叩くので本性がバレましたが、

それがなかったら…危ないところでしたね。

 

ルーテル教会に行って、

あまりにも神様、みたいになっているところに

違和感がありましたが、今みれば、

特に大したことでもないんです。

 

やっぱり、私がルーテル続かないかも、と

思った動機で、大事なのは、

金銭と奉仕の負担が多い、という部分です。

 

もちろん、ルーテル教会はメインラインで、

献金や奉仕が少ないからって、

居づらくなることはないと思います。

しかし、良心の呵責とかはあると思います。

 

お金がなくて、牧師館の修繕もろくにできず、

70才をすぎたおじいちゃんが毎日長くいて

屋根裏に入って、肩で息をしながらお手伝い…

 

これは大変なところだなぁ、

私には無理だ、支えきれない、という

気持ちになりました。

 

もちろん、ルーテル教会は大衆向けで、

労働や献金を半強制されることはありません。

でもプレッシャーというか、

素直で優しくあればこそ、

自分が手伝わなければ、という

気持ちになるという所は、あると思います。

 

結局、人が集まっているって、

パワーなんですよね。

意識しないけど、人間の力ってすごいです。

 

カトリック教会は歴史も豊かだし、

日本の小さなプロテスタント教会にたまにある、

小さいがゆえに、世間の感覚とずれる部分が

発生しないんですよね。

だから不自然さを感じることもない。

 

それに、日本のキリスト教の中では、

圧倒的に大きいですから、

ひとりひとりが苦しくなるような負担もない。

自然体でできるんですよね。

 

プロテスタント教会は、

どうしても日本の場合は脆弱で、

教会を存続させるために、

信仰という情熱を武器に

がんばらなきゃいけない。

 

どうしても生活が

教会を中心に回ることになると思います。

それは、みんなではない。

気軽に生きている人もいっぱいいます。

そこまではしない、って割り切れる人は。

敬虔であれば、消耗する可能性はあります。

 

そういう訳で、

とにかく母体が大きいカトリック教会が、

特に日本のようなキリスト教

全然はやっていない国ではいいです。

 

日本の信者だけでなく、

世界に13億人の信者がついていますから、

比べ物にならないです。

 

そうはいっても、それでも自分はプロテスタント

という人もいっぱいいます。

そういう人の力で教会が今、立っている。

 

それを考えると、

私はカトリック教会に満足しているし、

自分の性格はカトリック向きなのかなぁ、

って思いますね。

 

ルーテルもいい教会なんだけど、

日本で生き残るのは大変すぎる…。

それでも生き残っているのは、

情熱を持ってがんばってる人達が

いっぱいいるおかげなんですけどね。

 

私は、一部のカルト的教会を除いて、

すべての教派に親和的な姿勢ですけど、

行ったことがあるのは、

ルーテル、聖公会日本基督教団です。

 

行った感想は、プロテスタントでは

ルーテル教会がいちばんいい。

お説教もいいですし、

カトリックに準じた典礼をするので、

礼拝に風格みたいなものがありますね。

 

普通にルーテルの礼拝は満足感があります。

 

聖公会は、私の感覚では、カトリック

さらに薄めたような雰囲気の教会ですね。

 

ここはカトリックより良いという部分が

私の短い経験の中では見いだせなかったです。

典礼カトリックのほうが本格的。

それを考えると、私はカトリックがいい。

 

日本基督教団は、私の中では、

あんまり響く物がなかったです…。すみません。

教団のクリスチャンの人を何人か知ってて、

とても感じのいい方が多かったです。

 

超教派の交わりに何度か行ったことが

ありますけど、聖書を読む前に

オカリナを披露して癒やしてくださる

牧師さんもいて、

いろんなスタイルがあるもんだなぁ、

って感心しました。

 

私は…カトリック教会に満足しているので、

今さら他の教会に深く首を突っ込もうとは

思わないです。超教派の集いは面白いけど、

他教派の日曜礼拝に通いつめてみようとか、

そんなことをするつもりはありません。

 

陰ながら、同じキリスト者の同志として、

実りある働きがありますよう、

すべての教会に祝福がありますように。