RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

教派の距離感

昨日は朝ミサに出て、すぐ病院に戻りました。

しかし病院にいたのは1日だけで、

今日のお昼には、また家に帰ってきました。

 

最近は毎週末に外泊していますが、

今たまたま病院で風邪が大流行していて、

そのために週の真ん中にも外泊したので、

今週はほとんど病院にいませんでした。

こんな入院患者は珍しいかも…。

 

さて、よくカトリックプロテスタントという

おおまかな分類がありますが、

ちょっと時々思うことがあります。

 

私は今はカトリック教会ですが、

求道を始めた最初はルーテル教会で、

3ヶ月くらいずっと通っていました。

 

その影響なのかどうかはわかりませんが、

キリスト教全体の中心に軸足をおいて、

この教派はこんな特徴がある、

ここが同じ、ここが違う、という感じで、

教派の違いを眺めるところがあります。

 

カトリックプロテスタントにかかわらず、

いろんな教会のホームページを見て

お説教を読んだり、超教派の集いに出たり、

そういうことで得られるものもあります。

 

そんな私の目から見ると、プロテスタントの間でも

教派が違うと雰囲気が違うなぁと思うのですが、

ときどきプロテスタント教会どうしに比べて、

カトリックはまた別段階で距離があるように

感じられることがあります。

もちろん、この距離は相対的なもので、

別宗教のように距離があるという意味ではないです。

 

カトリックにはマリアをはじめとする

聖人崇敬があったり、

聖書を読むよりロザリオなどの信心業が

(ミサの次に)中心だったり、

それは小さくない差ではありますけど、

 

もしカトリックに一段と距離感があるのが

私の気のせいでないのなら、

日本のキリスト教界を作ってきた、

第2バチカン公会議以前からの文化の違いが

教理の差違以上に大きいんじゃないかな。

 

布教の歴史を詳しく知っている訳じゃないですが、

プロテスタントは口語訳聖書、讃美歌、って感じで

使う言葉も、敬称の兄、姉とか、そろっていた。

カトリックは組織が大きくて、

かつ第2バチカン公会議以前は

他教派を離教者扱いしてたので、

聖書も聖歌も独自の物を使っていて、

ギデオン協会などの関係も必要なかった。

 

そんな感じで、カトリックは独自だったけど、

プロテスタントには共通の文化も多かった。

ということじゃないでしょうか?

 

日本は、すでに宗教改革が起こった後で

はじめてキリスト教が入ってきて、

その結果、用語までバラバラになっていますが、

カトリックプロテスタントという分類は

キリスト教ならどこにもあったことで、

世界中でカトリックには一段と距離感がある土壌が

歴史の中でできちゃったのかもしれませんね。

 

そして第2バチカン公会議から時間がたって、

宗教的保守派とかリベラル派とか、

新たなコントラストもあるように思います。

私の時代は、もうカトリックプロテスタント

大きな壁になっていた時代ではもはやなかった。

だからこそカトリックだけ距離が長いような

状況にあうと、違和感を感じるように思います。