RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

聖なる主の晩餐

最近Facebookキリスト者

政治的な話し合いをするグループで

聖餐式の話がありました。

 

ある教派が聖餐式オンラインで

執り行うことはおかしいので

絶対にしないように

 

という通達を出した、という記事

こんなことを口に出すのはおかしい

他の教派に強制してはならない、

という内容でした。

 

私は、その教派が

そういう意見をすることで、

他の教派から反発を受けている、

ということに気づきました。

 

カトリックの考え方からいうと

霊的聖体拝領というのが特別で

本当の聖体拝領

司祭が聖別したご聖体を

実際に身体に受けるということですので

 

それは当然なのですが

 

教派が違うと、

反発が出てくることもある、

ということです。

 

カトリックだけでなく

メインラインのプロテスタントは

そういう考え方をすると思いますが

 

他の教派を否定するものであっては

ならないということは言えると思います。

 

もちろん他の教派を否定する目的で

そのような発言があったとは

思っていませんが

 

やはり、わかってくると、

あの人の信仰はセンスがないとか

おかしいとか、そういう方向に

行きがちではあると思います。

 

私も前は、気づかないうちに

そのような考えをしていたと思います。

 

しかし、それが裁きに繋がり、

他者の信仰や性格を否定することに

るかもしれない、ということは

今では、肝に銘じています。

 

そしてもう一つ。

 

オンラインでの聖餐式をした

牧師さんの話が載っていました。

 

とても充実感を感じている様子が

伝わってきました。

 

何が言いたいかと言うと

プロテスタントは、宗教改革の中で

カトリックの伝統を多く否定して

いった歴史もありますが、

 

それでも全ての教派において

聖餐式は残っているのです!

 

これは実にすごいことです。

 

それほどまでに、

エス様の体をパンとして食べ

血をワインとして飲むことは

キリスト者には絶対に必要な事、

としか私には思えないからです。

 

オンラインでの聖餐式執り行った

師さんから感じた充実感は

 

エス様の体と血を、

自分の体に入れた喜びの中にある

温かい充実感だったのだと思います。。

 

キリスト者に平和があるように。