RJNKの日記

いろいろ興味のあることを書いています。

国際看護師の日

今日(5/12)は、国際看護師の日です。

 

なんで、そうなのかと言うと

看護師と言えばこの人、フローレンス

ナイチンゲールさんの誕生日なのです。

 

私は看護師に尊敬と親しみの気持ちがあるので

もちろんナイチンゲールさんにも

特別な思い入れがあります。

 

昔から、男性に人気のある女性の職種で

看護師はいつも上位と聞いたことがあります。

 

私は前は、看護師さんにロマンを抱くのは

子供じみた考えで、

実際の看護師さんは気が強いって言うし

 

周りに医者が多いという環境もあるかも

しれませんが、憧れとか女性の理想像みたいな

意識はあまりありませんでした。

 

しかし、私は去年、肺塞栓になって、

2ヶ所の病院に入院したして、

ずいぶん看護師さん達のお世話になりました。

 

最初の急性期の病院では、

2人の若い男性の看護師さんが

私が意識を取り戻した時、

声をかけてくれたのを覚えています。

 

僕たちのことを覚えてる?って言われたので 、

覚えていないって答えたら、ちょっと残念そうに

覚えていないんだ、って言われました。

 

そのやり取りを聞いて、

意識が薄くて記憶に残ってないけど、

その看護師さん達とそうとう仲良く

やり取りしたのかな、って思いました。

 

私にとって、その2人の看護師さんは

森の妖精みたいな、

そっと人間にいいことをしてくれる妖精さん

そんなイメージを持っています。

 

その後に入院した病院でも、

たくさんの看護師さんにお世話になりました。

 

1人の看護師さんに恋愛的な感情を抱いた

というのもありますけど、

それを抜きにしても、いつも身の回りに

看護師さんがいて、親しみを感じました。

 

あんなに一緒にいて、これで親しみを

感じないという人はいないと思います。

 

私は看護師さんは特別に善良な人間だとは

全然思っていなくて、

そういう仕事だからって思ってますけど、

 

いつも近くにいて、色々と面倒をみてもらって、

本当に感謝だし、嬉しかったです。

本当に心の距離が近かった。

 

フローレンスナイチンゲールの言葉に

何を犠牲にしてきたかと言われて、

 

犠牲の心では真の奉仕はできない、

というような内容の言葉を残しているそうです。

 

質問した人も私と同じことを考えていたと

思いますが、これはキリスト教

特にカトリック教会に身を置いている人間には

新鮮みの強い言葉です。

 

簡単にいうと、イエスキリストは

人間の罪を贖うため人間になった神で、

人間に仕え、人間のために十字架で死にました。

 

私達も、誰かのためにキリストに倣って

犠牲を払うことが求められているし、

少なくとも美徳なのです。

 

ですから、ナイチンゲールの言葉を解説した

サイトを見て、本当の奉仕は犠牲の精神から

始まってはならない、という考えは

の中にないもので、驚きすらありました。

 

ナイチンゲールの有名な言葉、

犠牲の精神の中に真の奉仕はない、

その真意をもっと聞いてみたいです。

 

紹介されたサイトより、

もっと深い意味があるのかもしれないですし。

 

この言葉のために、ナイチンゲールさんの価値が

増えたり減ったりするものではないと思います。

そのままを受け取り、

自分なりの方法で吸収してみればいい。

本当に彼女は偉大なのですから。

 

終わりになりますが、母は今日、

スマホの購入に行きませんでした。

 

やはり、今までスマホじゃなかったので、

電話がかかってきても受けられるか、とか、

いろいろ心配がありそうです。

もう1回、説得してみます。